エウロパの海、より。

「エウロパの海」の更新報告とか、活動報告とか、思考メモとか。

情報を代謝させるということ(活動再開のお知らせに代えて)

ご無沙汰しております。
今年も冬の旅から帰ってきたので、またもぞもぞと活動を開始しております。

この冬は色々なことがありました。いや本当に。
端的に言うと、これまでの人生を振り返り、その走馬灯をA4コピー用紙4枚にまとめたりとか、そういう。タイトルは「職務経歴書」。お察しください。転職活動してました。結果的には転職していないのだけれど、それについてはまたどこかで語り直すとして、何と言うか、あらゆるものを棚卸した冬でした。これまでに得てきたもの(インプット)と、この世界に提供してきたもの(アウトプット)を丁寧に書き出して、さてこれらはこの社会と、あるいは世界と、どういう風に繋がっていったのかと考える時間でした。そういう作業をしながらふと、

――人間に限らず、生き物って結局はアウトプットじゃん。物質の分解と合成、呼吸、言葉。何らかのインプットに対して、別の形にアウトプットされるということが生きているということでは。

ていうことをそのA4コピー用紙4枚の超大作大河ドラマ書きながら思ったのでなんかそういう話をします。

似たような話を創作の中でいつだったか書いていたような気もするし、これからも何かにつけて書いていきたい気持ちはあるけれども、それを、ただ創作というフィールドの中だけでなく、ほんとうに、実感として、あらゆるものがそうなのではないかと思ったのがこの冬でした。

我々は日々あらゆる情報を絶え間なく浴び続けていて、それはアウトプットしなければただ自分の中に蓄積される一方になるわけで。何か、どうにかアウトプットしなければ、パンクしたり腐敗したり、なんかそういうよく分からないことになる。テレビのニュースにヤジ飛ばすとか、ワイドショーにいちゃもんつけるとか。

だから仕事をしたり、小説を書いたりしている。
どうも、そういうことらしいぞ、と。

たとえば業界情報や資格の勉強は仕事という形にアウトプットされるし、
同じように、小説を書いている限りは、あらゆることに関心を持っていられるだろうという感覚がある。よく「本を読まずに小説を書けるのか問題」がタイムラインを流れていくけれど、私の場合はどちらかというと、あらゆる興味が物語に繋がっているという感覚があって、逆に言うと、あらゆる本を興味を持って手にするためには、小説というアウトプットが必要なのかもしれないと思ったのでした。個人の感想ですが。

もしアウトプットがなければインプットする意味はなく、むしろ害悪ですらあり、情報に害されないためには何にも興味を持たない人間になるしかないのではと。だから、働くことや、小説を書くことや、ほかにも気まぐれに絵を描いたり写真を撮ったりペーパーを書いたりしているけれども、ともかくアウトプットする先を、それも何らかのリターンがあるような、外と繋がるものがあるということが、結局は社会に耐えうるかどうかということなのではないか。

そういうことを考えていました。これは単なる思考メモだけれど、さてこれから何をしてどう生きていこうかと考えた結果のメモでもあり、置いとけば何かの役に立つかもしれないと思って書いています。コピー用紙4枚にわたる大河ドラマは、また必要になった時に使いまわせるし。

小説についていえば、昨年は、作品の行く先という話をしていた気がします。
今年は、工程としては少し遡って、どんなインプットに対して、物語としてどういう風に送り出すのか、ということを、考える年なのかもしれません。などと。

なんかこう、ややこしいこと考えてる風を装ってますが、別にそんなことはなくて、ライトに手に取ってフラットに楽しめるものを書いていきたいと思います。