エウロパの海、より。

「エウロパの海」の更新報告とか、活動報告とか、思考メモとか。

静岡文学マルシェに参加しました+文学を語りなおすということ

6/16(日)、静岡文学マルシェに行ってきました。楽しかったー!

桃パフェはおいしかったし、キウイのマフィンもおいしかった…食べ物ばっかりか。本はどうした。作りました。なぜかプラスチックケース入りとかいう、遠征にすこぶる不向きな本を出しました。当日手に取ってくださった皆様、ありがとうございました。(※新刊の「ネクタリスの海底」です)


ちなみに当日は、さらばさんに売り子をお願いしました。年に何回も会える人ではないので、このイベントを口実に会いに行ったという説もあります。そういうきっかけでもないと遠征しなので...。
なお、前日は熱海観光からの温泉で、完全にスイッチオフ状態でした。なぜかカニまで食べた。その話はまた今度、できればネプリペーパーにでもしたい。

静マルは新幹線の都合で15時過ぎには撤収しないといけなかったんですけど、14時過ぎにはすっかり落ち着いていて、のんびししたイベントだった印象です。ほぼ食べてるかしゃべってるかだった...立ち寄ってくださった方とも、色々なお話ができて楽しかったです。目にとめてくださってありがとうございました。

また、スタッフの皆様もほんとうにお疲れ様でした。最後にめんどうな宅配荷物を頼んですみませんでした。無事に届きました。

 

で、これで終わってしまうのもアレなので、帰りにつらつら考えていたことをぴょろっと書きます。

 

今年の静マル、昨年と比べても一般参加者は少なめかな、という印象で、この規模のイベントではよく言われている課題だしな、とパフェ食べながら会場の様子を眺めてたんですけど、ちょっと待ってくれ。そうじゃない。

いや、書き手ばっかで読み手がいないとか、時々湧き上がってくるそういう話について春先からずっとふんわり考えていたのだけれども、なんとなく静マルの帰りに「もしかしてこういうことでは」って思ったことがあったので適当に語ります。イベントに対するどうこうではなく、ただの思考メモです。

あえて言うと、読み手が少ないことは問題じゃない。

文学の本質は読まれることではなく、発信することじゃないか。ここ大事なので、心のなかで各自赤ペンで線引いて。

いや、こう、ついでのように近代文学とかの話をするんですけど。太宰とか芥川とか鏡花とか、私の推しの中島敦とか。そういうのは、ただ読んでしみじみするだけだったら、それこそ文学は終わったコンテンツなんですよ。たぶん。誰かが言っていたとおり。

でも発信するじゃん。萌えるとかエモイとかヤバイとか言うじゃん。SNSとかで。李陵のエモさ語ったら1時間じゃ足りないよ私。あのほら、あれだ、太子丹が荊軻を送るところが最高潮なんですけど、今はその話じゃなくて、でもそれだ。我々がそうやって、今この時代で、今の生活とか社会とか考え方とかを背景にして語り直すから、文学は生きてるんじゃないのか。っていうところからこう、どこかに話を持っていきたかったんだけどここら辺で正気に返ってしまったので話を畳みますね…。

 

感想言おうよとか、さらに交流しようとか、そういう話ではないです。どっちかっていうと、交流のために創作するという感覚は苦手な方で、旅立っていった物語は好きに受け取っていただいて構わないと思っており。ただ、発信するということは、読み手が表現者になる瞬間で、それは感想でもいいし二次創作でもいいし、あるいはもっとなにか違う形があるのかもしれないけど、ともかく何かしら人から人に語り直されていかなければそれまでで、文学はほっといたら死ぬんだな…なんてことを考えていたのでした。

同人誌即売会という場に関して言えば、たぶん、「本を作る」と「本を読む」の間に位置する何かが必要なのかもしれない。本を作っている訳じゃないけど物語を書いている人とか、小説は書かないけれど手作りが好きな人とか、小説を書く人に会って何かやってみたい人とか、そういう、「間に位置する人」が、潜在的なイベント需要としてあるはずなのでは、と。しらんけど(※関西弁)。

 

ここまでとりとめもない雑談でした。
話、畳もうな。

 

私は普段大阪にいるので、年間スケジュールを立てるときは、まず文フリ大坂や関西コミティアを考えるんですけど、静マルも、静岡やその近隣県で(広義の)文学してる人たちにとって、そういうイベントになったらいいな...と思います。


それでは、また来年。

情報を代謝させるということ(活動再開のお知らせに代えて)

ご無沙汰しております。
今年も冬の旅から帰ってきたので、またもぞもぞと活動を開始しております。

この冬は色々なことがありました。いや本当に。
端的に言うと、これまでの人生を振り返り、その走馬灯をA4コピー用紙4枚にまとめたりとか、そういう。タイトルは「職務経歴書」。お察しください。転職活動してました。結果的には転職していないのだけれど、それについてはまたどこかで語り直すとして、何と言うか、あらゆるものを棚卸した冬でした。これまでに得てきたもの(インプット)と、この世界に提供してきたもの(アウトプット)を丁寧に書き出して、さてこれらはこの社会と、あるいは世界と、どういう風に繋がっていったのかと考える時間でした。そういう作業をしながらふと、

――人間に限らず、生き物って結局はアウトプットじゃん。物質の分解と合成、呼吸、言葉。何らかのインプットに対して、別の形にアウトプットされるということが生きているということでは。

ていうことをそのA4コピー用紙4枚の超大作大河ドラマ書きながら思ったのでなんかそういう話をします。

似たような話を創作の中でいつだったか書いていたような気もするし、これからも何かにつけて書いていきたい気持ちはあるけれども、それを、ただ創作というフィールドの中だけでなく、ほんとうに、実感として、あらゆるものがそうなのではないかと思ったのがこの冬でした。

我々は日々あらゆる情報を絶え間なく浴び続けていて、それはアウトプットしなければただ自分の中に蓄積される一方になるわけで。何か、どうにかアウトプットしなければ、パンクしたり腐敗したり、なんかそういうよく分からないことになる。テレビのニュースにヤジ飛ばすとか、ワイドショーにいちゃもんつけるとか。

だから仕事をしたり、小説を書いたりしている。
どうも、そういうことらしいぞ、と。

たとえば業界情報や資格の勉強は仕事という形にアウトプットされるし、
同じように、小説を書いている限りは、あらゆることに関心を持っていられるだろうという感覚がある。よく「本を読まずに小説を書けるのか問題」がタイムラインを流れていくけれど、私の場合はどちらかというと、あらゆる興味が物語に繋がっているという感覚があって、逆に言うと、あらゆる本を興味を持って手にするためには、小説というアウトプットが必要なのかもしれないと思ったのでした。個人の感想ですが。

もしアウトプットがなければインプットする意味はなく、むしろ害悪ですらあり、情報に害されないためには何にも興味を持たない人間になるしかないのではと。だから、働くことや、小説を書くことや、ほかにも気まぐれに絵を描いたり写真を撮ったりペーパーを書いたりしているけれども、ともかくアウトプットする先を、それも何らかのリターンがあるような、外と繋がるものがあるということが、結局は社会に耐えうるかどうかということなのではないか。

そういうことを考えていました。これは単なる思考メモだけれど、さてこれから何をしてどう生きていこうかと考えた結果のメモでもあり、置いとけば何かの役に立つかもしれないと思って書いています。コピー用紙4枚にわたる大河ドラマは、また必要になった時に使いまわせるし。

小説についていえば、昨年は、作品の行く先という話をしていた気がします。
今年は、工程としては少し遡って、どんなインプットに対して、物語としてどういう風に送り出すのか、ということを、考える年なのかもしれません。などと。

なんかこう、ややこしいこと考えてる風を装ってますが、別にそんなことはなくて、ライトに手に取ってフラットに楽しめるものを書いていきたいと思います。

くらげ、今年見た展示を振り返る。

今年も色々な美術館や博物館にいそいそと出掛けていました。
特に遠方の施設や、期間限定の特別展は、ほんとうに幸運が重ならないと見ることができないもので、見られてよかったな…としみじみ。

その中でも特に強く印象に残っている特別展を3つほど振り返ります。

 

『京のかたな 匠のわざと雅のこころ』京都国立博物館

katana2018.jp


正直、行く前は「刀ばっかり何百も見て面白いか…?ただ人混みに疲れて帰ってくるだけでは…?」と半分思っていたんですが、杞憂に終わりました。
なぜ鉄の棒がこんなに美しいのか。意味がわからない。美しい。ひたすらに美しかった。

平安に始まり時代順に展示されている膨大な刀剣は、山城鍛冶の歴史が幕を下ろすところで終わっており、ひとそれぞれ感じ方は違うとは思いますが、私にとっては、刀というものは完全な「過去」なんだな、というのを強く感じた展示でした。それは同時に、歴史を背景に見るものだからこそ美しいのかもしれない、とも思います。無理に今の時代に引っ張り出しても、もう武士はいないし、戦もない。包丁やペーパーナイフは技術の伝承にはなるかもしれないけれど、それは刀とは別のものなのだし、うまく言えないのだけれど、時代と共に歩んできたものは、時代と共に語られるべきなのだろうと思ったりもしたのでした。
ほんとうに美しいものを見せていただいた…。


『絵本のひきだし 林明子原画展』宮城県美術館

www.asahi.com

林明子さんというと「はじめてのおつかい」が一番有名でしょうか。
ほかにも小さい頃に読んだ絵本がいっぱいあって、懐かしさで泣いた。私が一番好きなのは、きつねの縫いぐるみと一緒に電車に乗って旅をする「こんとあき」でした。めちゃお気に入りだった。今見てもこんが可愛い。ほんとうに素敵なものを見せて頂いた....。

懐かしいばかりでなく、絵の中に隠された様々な仕掛けや意図が説明されていて、表現についてものすごく勉強になりました。

何より、こうして長い年月を経て見た時に、懐かしんで温かい気持ちになれる本に出会えていたということが、ほんとうに幸福なことに思えたりもしました。

 

『モネ それからの100年』横浜美術館

monet2018yokohama.jp

展覧会の趣旨はともかく普通にモネを楽しんできました。
好きだな、と思う絵が多くてとてもよかった。特に『テムズ河のチャリング・クロス橋』という絵がものすごく気に入って絵はがきをかったんですけど、絵はがきじゃ伝わらない…すごさが1%も伝わってこない…。こう、光がぶわっとして白と赤が美しくてな...(語彙力の限界)ほんものだから伝わるもの、のようなものを強く感じたりもしたのでした。綺麗にまとめた。

ところで、音声ガイドが櫻井孝宏さんだというので、生まれて初めて使ってみたんですけど、やばかった。諸事情により人を殺さずに生きてきた槙島さんがモネを語っていた。


ほかにも、エッシャー展面白かった、とか、アンデス展も視野が広がるような展示でとてもよかった、とか、色々見たなあ、と。特別展ではないけれど、お気に入りの大原美術館にも行くことができました。ゴーギャンが常設展にあるんですよ...そのためだけに足を運んでもいいくらい好きな絵が...。


来年は、とりあえずなんやかんやあって行けていないムンク展に行きたいんですけど、行けるかな…。

 

 

2018年、今年の10冊

というわけで今年の10冊をどうぞ。

10という数字にするために泣く泣く外した本もあるんですけど、今年読んだ本の中から、とりあえず選んだこの10冊で今年を振り返ります。

小説→漫画→実用書(?)の順にお送りします。

 

『さよなら、愛しい人』レイモンド・チャンドラー(ハヤカワ・ミステリ文庫)
定期的に訪れるチャンドラーブーム。ひたすらにかっこいい。とにかくかっこいい。ちんぴらにどつかれ、警官に殴られ、女に騙され、それでもかっこいいのだから、何だろうな。『さよなら、愛しい人』は、私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズのなかでも一番好きです。好き過ぎて、原題「Farewell, My Lovely」は、自分の同人誌のタイトルに一部拝借したりもしました(今年出した「Farewell,My Last Sea」です)。

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火星年代記レイ・ブラッドベリ (ハヤカワ文庫SF)
火星という「別の世界」を通して描かれる、「人間は、ほんとうに、この人間としての生き方しかないのか」という問いかけの物語。火星を舞台に、火星人と人間、人間と人間といった関係の中で描き出される、知性や哲学や信仰の在り方に、気が付けば、今の人間が手にしているものとは別の生き方、別の在り方を探している。最後の場面がほんとうに美しくてたまらない。
ことあるごとに言っているような気もするけれど、過去から遠い未来へと繋がってこそSFは美しいのだと思う。

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コンビニ人間村田沙耶香(文春文庫)
何かに秀でているわけでもなく、かといって何か害があるわけでもなく、ただ異質であるということが、どれほどまでに人を孤独にするかという、客観的に見ればそういう話なのだけれども、「そうは言っても私としてはこれが一番しっくりくるので」とカラっとわが道を行く感じが心地よい。こういう物語が、本屋で平積みにされているというのは、何と言うか、賞の効果だとしても気分がいいものだったりした。

正直、こんなラストになるとは思わず、何やかんやと「普通の」ハッピーエンドになるんじゃないかと斜めに構えていたのだけれど、とても爽快なラストだった。個人の感想です。

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『風呂桶・和解・チビの魂』徳田秋声
金沢の徳田秋声記念館で買った本で、一般書店にはないもよう。戦時中の風景をこんな風に描いた作家はあまり知らず、新鮮な印象だった。何ていうか、戦争文学というものに最初に触れたのは国語の教科書で、大抵は「お父さんが出征して死んでしまい、食べるものもなく貧しくて、爆弾が降ってきて」という決まった風景ばかりが描かれ、「ひもじい、悲しい、怖い」という感情を押しつけるばかりで、その先がないイメージがあった。昨年くらいに「戦争は女の顔をしていない」を読んで衝撃を受けたのは、その感情の複雑さと多様さで、日本の戦争文学にはないものだと思った記憶がある。けれども秋声の小説を読んでいると、どうもそういうもんでもないんだな、と思えてきて、とてもよかった。出征や空襲といった戦時特有の出来事の中に、複雑でいびつな感情を持ってこの時代を生きた人々が描かれている。秋声は、色々なことがないまぜになった感情を、はっとするほど鮮やかに描き出すのがほんとにすごい。


司馬遼太郎全講演(1) 』司馬遼太郎
そろそろ読むものが減ってきたので講演に手を出してみたのでした。

司馬遼太郎は講演ひとつ、エッセイひとつを開いても、その深い思考に驚かされる。以前に司馬遼太郎記念館に行った時、展示された蔵書に圧倒されて半日くらい茫然としていた記憶があるのだけれど、本当に、どれだけの本を読み、どれだけのことを考えれば、こんな文章が書けるのだろうと思ってしまう。こういう人は、ただ歩き、風景を眺めるだけでも、色々な物語が生まれてくるのだと思う。たとえば知らなければただの山も、その昔に誰かと誰かの合戦があり、その戦にはこういうエピソードがあり、その結果歴史はこういう風に流れ、という風に物語が広がっていく。同じものを見ても、見えるものの量が全然違う。ということをぼんやりと考えながら読んでいた。

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少女終末旅行』1~6巻(完結)
アニメが終わってから出会ったので、めちゃ乗り遅れた感。
お風呂に入りながら泣く場面で私も泣いた。
美しいお話でした。好き。

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人工知能時代を<善く生きる>技術』 堀内進之介(集英社新書)

 これは個人的にめちゃ面白かった。端的に言うと「人工知能だって、使っているのは人間」という一言に尽きる。空気を読むかのように至れり尽くせりの人工知能があるとして(まあまあありますね)、でもそれ、サービスを提供してるのは人間だし、その人間にはその人間の目的があるんだよなあ、という。ターミネーターみたいな未来は来ない。現実の人工知能は、目に見える形では支配してくれない、のかもしれない。そんなお話。

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『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』平田オリザ
表現とは、他者を必要とする。
という一文が、あまりにも当たり前で、新鮮すぎて、衝撃だった。
異論はあるだろうし、むしろ同人をやっている人たちの間では異論が多い気がする。自分のためとか、自分が楽しければいいのに他人の目を気にするなんて、とか、そういう話はときどき目にする。それはそれで同意する感情はあるのだけれども、だからこそ、はっきりとこう言いきってくれたことが新鮮だった。
演劇を中心に「伝える」ということを論じた本なのだけれど、小説にもあてはまることばかりなので、また読み返したい一冊。結構テクニカルなことも書いてある。

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『食糧と人類 ―飢餓を克服した大増産の文明史』ルース・ドフリース
唐突に思った「私は歴史を知らなすぎでは?」「しかしどっから手をつければ?」からの、「人類の歴史なんて、どうやって飯を食うかだろ」という発想から数冊選んだうちの一冊。なんか、食糧の歴史というよりも「窒素固定!!!」という感じの本で、視点がめちゃ新鮮で面白かった。農業は窒素なんだな...。こういう風に歴史を見たことはなかった。物質がどう循環するか(させるか)っていう視点は、どういう物語でも土台にあるものだよなあ、とか。

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『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか 』中川毅(ブルーバックス)
氷河期とはなにか、今のこの温暖な時代はいつまで続くのか、から始まり、地球史をひもとく壮大な物語。農耕がだいたい一万年前から始まったことは学校で習うけれど、なぜ一万年前までは始まらなかったのかは教わらないし、実は農業の本質のようなものはそこに潜んでいるのかもしれない。発想の転換、新しい視点を与えてくれる本と出会うことは、ほんとうに奇跡的だと思う。

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実用書も小説もわりとまんべんなく読んだなーという感じ。

あと、ここにあえて載せてませんが、文ストの映画に2回も行ったうえにノベライズもコミカライズも買ったし特典小説の15歳もとてもよかったです。特典小説のもういっこについてはコメントしない(そのうち別枠で何か言う)。

それではまた。来年も、良い本に出会いたい。

 

ノイズとしての「僕」(活動再開のお知らせに代えて)

おはようございます。
冬眠から覚めまして、ぼちぼち今年もイベントに参加したり、本を作ったりしたいと思います。

ひとまず5月、関西コミティアと、文学フリマ金沢に参加する予定です。関西コミティアは直接参加、金沢は委託です。新刊はありませんが、新しいペーパーを発行しますので、よろしければお立ち寄りください。

それから、ここを放置している間に、実はサイトをリニューアルしております。
http://rosette-nebula.boy.jp/europa/
とうとう…スマホ対応しました…よろしければ覗いてみてください…。


さて。
先月下旬くらいから、唐突に積読タワーを崩しています。新書を中心に。
昨年活動する中で、自分の書いたものの行く先について考えるようになった話を書きました(これ)。自分のための、自分だけの小説だとしても、旅立って行ったならもうその人の物語であってほしいと思います。
つまりは手紙の「宛名」のことで、では「差出人」は、とふと思ったのが今回の積読タワー解体のきっかけです。ここはどこだ。どういう社会の、どこら辺に、どういう存在として僕は存在しているんだ、というところから、何だかもぞもぞと組み立てようとしています。
別所で、「ノイズかもしれない」という話をしました。
養老孟司の「遺言。」の中に、(自然・農村・田舎等に対する言葉としての)都市というのは、意味で出来た世界だという話が登場します。意味しかない世界。意味のないものはつまりはノイズで、ノイズは除去される。そういう話です。
意味もなくただ存在するものでありたいのかもしれません。風や雨のように。そういうことを考えつつ、また今年もお話を書けたらいいと思っています。

 

今年の創作活動を振り返る 2017ver.

今年つくった二冊の本と、二つのお話のこと。

なんかこう、適当な感じでいきます。よろしければお付き合いください。

 

巻頭特集:この装丁がやばい2017

いや、コスト的な意味で。
9月の文フリ大阪で出した『弓と空』なんですが、こんな本でした。

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ぱっと見た感じ真っ白だけど、触ると植物がある、というデザインで、思い付いたときは「この本にはこれ以外の装丁はないんじゃないか」と思い、とりあえず見積フルオーダーっていうか、そもそもこんなコマゴマした浮きだし加工できるのかというとこも含めて印刷所さんに問い合わせたところ、

「出来るといえばできるが、細かいとこはやってみないとわからんな。そもそもこんな面積は規格外だぜ」

ってなんかRPGに出てくる荒野の武器屋みたいなこと言われたのがいい思い出です。

「作りたい本を作れずに、ほかに何に金を使うのだ?」

と脳内RPGの長老が言ってたのでGOしました。満足です。

中身は、いつぞやのハヤカワSFコンテストで一次を通過し二次で落ちたアレです。色々と転機になった作品ですが、それについてはまたいつか。

 

今年作ったもう一冊のこと

8月の尼崎文学だらけに合わせて発行したのが、ペルセウスの旅人』でした。
数年にわたってバラバラに書いていた星にまつわるお話があったのですが、いつの間にやら、そのお話同士があちこち勝手に繋がったりしていたので、ひとつの物語に組み立て直すことは出来ないかと思って作った再録本でした。

あまぶんの推薦文や、読んだ方からのご紹介・ご感想など、色々な方から嬉しいお言葉をいただきました。ぜんぶ大切に保存しています。
今年旅立って行った本に関しては、ほんとにこれ自分ひとりの力じゃないな、と強く思います。

 

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巻末付録:タイトルはこうして付けました2017

個人誌以外に、アンソロ用に短いお話をふたつ書かせていただきました。

ひとつは、綿津見さん主宰の『アンソロジー空』に寄稿させていただいた『夜をまだ知らない』。はじめにこのタイトルが思い付き、中身はぐだぐだと中々まとまらなかった記憶が。

ところでタイトルが本文中にあると、そこではっとなったりして、「ここ、ここですよ!」っていう効果があり、特に私のように抑揚のないローテンションな文章には効果的なんですが、今回のこれはタイトルを本文に変則的に組み込んだものでした。
タイトルだけ読んだときと、本文中に組み込まれたこのフレーズとで、意味が変わるようにしています。お手元に迎えてくださった方は、ぜひお確かめください。


もうひとつは、テキレボアンソロ『祭』に提出した『浜に打ち上げられた鯨の話』
めちゃ短いお話ですが、サークルカットみたいなものだから、短ければ短いほどよかろう、と思ったわけではなく、単に時間がなかったせいで既定文字数の半分くらいになったというアレです。

辞退も考えたのですが、ネタはあるのだから書けばいいという結論になり、ちなみにネタは3つあったのでとりあえず3つとも草稿を書いてみて、そのうち2つを採用したとかそういう裏話もあります。

このタイトルは、タイトル自体を本文に組み込むという試みでした。というか、本文をタイトルに押し出したというか。
体言止めの文章(多くはキーになるような言葉)が1行目にぽんと置いてあって、その説明から入るような書き方があると思うんですけど、その1行目をタイトルにしちゃったバージョン。気に入ったのでのちに別のところでもやってました。
なお、掴みには使えますが、効果は長続きしないので短編向きだなーと思った覚えが。


ついでに個人誌のタイトルも振り返ってみたり。

ペルセウスの旅人』は、昔から何となく頭の中にあって、いつか本に付けたい思っていた「とっておき」の言葉でした。サイトには、過去に描いた絵や短いお話で、似たような(あるいは同じ)タイトルの作品がいくつかあります。

『弓と空』については、読んでいただければ分かるんですけど、これはこれ以外のタイトルはなかった。
なお、アイヌ語の習得は今年の目標のひとつですが、進捗だめです。

 

そして編集後記~冬眠の現場から

例年、春になるともぞもぞと活動を開始し、本やペーパーを作ったり、ご縁があればアンソロなどに書かせていただいたりして、秋の終わりとともに冬眠します。
今年もすでに冬眠ターンで、しばらく本作りはお休みでイベント参加もありません。
(※二次創作はこのサイクルと関係ないので、何か出る予定ですが)

冬眠中は、長いお話を書くことにかかりきりなので、基本的に外向きの活動はしていません。長い旅に出ているのだと思っていただければと思います。

では、また、春に。

 

 

 

今年の10冊 2017ver.

恒例となってきました今年の読書を振り返るアレ。

昨年とは違って、今年は随分色々な新しい本との出会いがありました。そして再読を含めるとそれなりに長いリストになって、「あれ、こんなに読んでたのか」と思ったりしております。

その中から、印象に残っているものを10冊、TLを賑わせたりするような本は少ないですが、こんな本もあるのかくらいの感じでどうぞー。

 

『ものがたりの余白』ミヒャエル・エンデ

“このように書くんだ。一世紀の後、パレルモの広場で、メルヒェンの語部が話せるようなものを”

「あなたのファンタジーはどこから?」と聞かれれば、エンデかもしれません。
思えば『ロードス島戦記』や『指輪物語』よりもずっと前に、
はてしない物語』や『モモ』と出会っていました。

はてしない物語』は、新書サイズも出ていますが、
ハードカバーは赤い布張りに竜のようなものが描かれたデザインで、
それは物語の中で主人公の少年が手にするものと同じです。

本書は、物語をどのような形で届けるかということや、著者の手を離れた物語がどんな旅をするのかということを、考えるきっかけになった本でした。

はてしない物語』について少しだけ紹介すると(するまでもなく有名なお話ですが、ちょっとだけネタバレです)、物語は少年が本を手にするところから始まります。
本の中の世界には危機が迫っており、選ばれた若者が、救世主を探しに旅に出ます。
それはとても困難な旅で、そして結局、若者は救世主を見つけることはできず、
悲嘆にくれながら、女王様のもとへと帰還します。
しかし女王様は若者に言います。
ちゃんと連れてきてくれたじゃないですか、 
ずっとあなたと一緒に旅をしてきたではありませんか、と。
(それがつまりは少年であり、同時に読者でもある、というお話です)

少年が物語の中に招かれてからの後半部では、
物語というものが持つ力、すさまじさのようなものを目の当たりにすることができます。映画版とは結末が違うんだっけ。覚えてないけど。 

なんかこう、そういう、旅ができる物語っていいもんだなあ、と思ったのでした。

 

『みそっかす』幸田文

夏に父本棚で発掘した一冊。
幸田露伴の娘として知られる幸田文の随筆集。

途中、露伴に毎日百人一首を教わることになり、嫌で逃げ出すくだりがあるのですが、
そのページが目印のように大きく折られており。
思えば、私の父は教員だったためか家でもどこか「先生」のようなところがあって、
彼なりに何か思うことがあったのかもしれないと思い、折り目はそのままにしています。
…なんか似たような記憶があるんだよなあ、などと娘は回想していたりするのでした。

 

 『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

“一つは憎しみのための心、もう一つは愛情のための心ってことはありえないんだよ。
人間には心が一つしかない” 

第二次世界大戦で、前線に出た女性たちがいる。
でも彼女たちは戦後、批判や差別を受け、自らが果たした役割を隠して生きなければならなかった。
……というところから、取材はスタートしています。

でも次第に、そんな単純なものではないことが分かる。
長く隠されていた感情は軸を失い、あふれるように噴出してくる。

祖国のために望んで前線に出た人もいれば、ドイツ軍の侵攻により戦わないといけなかった人もいる。
ドイツ軍が憎くて殺したかったという声もあれば、どうしても憎みきれなかったという声もある。
家族を犠牲にしてでもパルチザンとして活動した人もいれば、パルチザンとなった家族に捨てられた人もいる。

押し流されるようにして最後まで読んだ一冊。

戦争文学、というと、どうしても国語の教科書に載っているような、
「貧しくて大変な時代だったけどみんな我慢してがんばった」
「おおぜい死んでしまって悲しかった」
みたいなそういうアレが浮かぶんですけど、
この本は、そんな風に単純なひとつの結末まで連れて行ってはくれない。

ところでこれノーベル文学賞受賞作品だそうですが、
これを読み終えたとき、「世界中で読まれるべき本というのがあるんだな」というのを、
ほんのり思ったりしたのでした。

 

『防雪林・不在地主』小林多喜二

こういう言い方が適切かどうかはともかく、この人は「北国の作家」なんだと衝撃を受けたのがこの本。
北海道の自然描写が圧巻で、頭抱えてごろんごろんした記憶が。
真っ白な景色の下にある、凍った土の匂いがする文章がとても好き。


『星投げびと』(再読)ローレン・アイズリー

"真実をいえば自然に関して「ありふれた」状況などはありえない。
昔むかし、世界には一本の花もなかったのだ。"


ペルセウスの旅人』のエピグラフはこの本から取ると決めていて、そのために読み返したのでした。
自然の姿を捉える目の美しさ。何億年という月日を一瞬で駆け抜け、遠い世界を暴き出す文章。
長いこと手元に置いていて、時々読み返す本。


 『プロローグ』円城塔

“「自分たちで選択を、登場人物なりの自由意志を持てということですかね」”

 読みやすいのに中々読み終わらないという謎の本でしたがようやく読了。いや、最後のページが物語の最後という保証はどこにもないから困る。終わってくれ。登場人物の自由意思を尊重するあまり放任主義に走るのはどうかと思うし、ほったらかしの登場人物が物語を放棄したらどうするんだとハラハラしつつ、まあ、なんだ、なんだったんだこれ。物語が物語を物語る、とかその辺りを、登場人物の発生辺りから書いてる風のなんかそういうやつです。たぶん。


『少年魔法士19』なるしまゆり

20年近い付き合いになる漫画が、このたび完結しました。長い旅でした。
この小さな命ひとつ、世界とか、自然とか、運命とか、あるいは神なんかも加えていいのかもしれないけれど、そういうよくわからない大きな存在とどう向き合っていくのか。粉々に砕けることなく、押し潰されることなく、けれどもその大きな存在と成り代わろうとするわけでもなく、諦めるでもなく、小さな命は小さな命として、どうやって存在していけばよいのかということを、ずっと問い続けていたような作品でした。最後はほんとうに美しかった。

 

『暗夜行路』志賀直哉

前篇は再読です。そして長いこと後篇の存在を知らなかったという。
前篇の中の、船上での夜の場面が好きです。
志賀直哉は、自然観というか、人間の思いどおりにならないものに対する視線が好きです。

 

『天に星 地に花』帚木蓬生

わりと最近読んでた。
江戸時代の医者の目から見た農村の人々のお話です。飢饉からの一揆、そしてその結末までを通して、農民の強さと弱さ両方を描き出した作品でした。帚木蓬生は医療もののイメージが強かったのですが、こういうのも書いてるもよう。とてもよかった。


『光をかかぐる人々』徳永直

活版印刷の歴史をひもといていく、ドキュメンタリー風の本。
活版印刷は技術それ自体が単独で入ってきて根付いたわけではなく、明治初期という激動の時代に、伝えなければならないものが沢山あったから根付いたという、なんかそんなくだりにほわほわと感動していました。
青空文庫でも読めますが、活版印刷という題材から、どうしても紙の本でほしくて取り寄せました。

 

とりあえず思いついた順に書いたので適当にまた捕捉しているかもしれません。意外とグル―バックスをあまり買わなかったな(日経サイエンスは買っていた)、とか、いつもは「資料になる」という言い訳の元にポンポン買う資料系の本が一見すると控えめで、そういえば随分図書館にも通っていたのでそういうのは漏れてるな...と今ごろ思ったり。読んだ本をもうちょっとこう、何か、どうにか管理できないのか...(来年の目標)